人から注意されること

人から注意されること

ジムで注意された

先日、ジムで従業員の方から注意された。あるマシンの器具を所定の場所に戻さずにいたからだ(もちろん悪気があったわけではない)。

従業員の方はとても親切だった

従業員の方は、なぜ所定の場所に戻さないといけないか、理由も一緒に説明してくださった。厳しく叱る感じでもなく、優しく笑顔で説明してくださった。

筆者は注意されるのが苦手

僕は人から注意されるのが苦手だと思う。今回のように優しく指摘されただけでも、「しまった」と思って顔がこわばり緊張してしまう。
おそらく子供の頃の環境・教育の影響が大きい気がする。先生などに叱られたり怒られたりしてこなかったため、慣れていない。さらに「叱られること=悪いこと」という価値観が染み付いてしまっている気もする。

注意された時の反応

注意された時の反応について少し考えてみたい。ここでは、外的な反応と内的な反応に分けて考えてみる。外的な反応とは相手に見える部分の反応、すなわち態度や言葉のこと、内的な反応とは自分の心の中の反応である。

外的な反応

外的な反応は、相手の態度やその場の空気によって変えたほうが良いだろう。
たとえば、相手が本気で怒っている場合やものすごく真剣に注意している場合に、笑いながら軽く対応するのは相応しくない。
逆に相手が軽い気持ちで注意しているのにこちらが重く受け止めすぎてひたすら謝ったりしたら、相手は困惑するだろう。変に蟠りが残ってしまうかもしれない。
相手の表情や言葉遣いから相手がどの程度の気持ちで話しているのかを察して、こちらもそれに合わせた温度感で対応するのが良いだろう。

内的な反応

内的な反応はどうだろうか。
外的な反応についてはわりと一般的なことを書いたつもりだが、内的な反応についてはそういうことを書くのは難しい。心の反応は千差万別だし言葉では表せないような機微もあるからだ。
そのためここでは、筆者の個人的な反応について書いていく。

筆者の内的な反応

上でも少し触れたが、基本的に筆者は注意されたことを重く受け止めすぎる傾向がある。特に心に余裕がない時は、相手がどの程度の空気感で話しているかに関係なく、防御反応のようなものが起こる。つまり、「やばい、しまった」と思って心拍数が上がったり筋肉が緊張したりする。
このような反応が「固い表情」、「必要以上の謝罪」などとなって外に現れることも多い。その結果、軽い気持ちで話している相手と重く受け止めすぎている自分の間にギャップが生じて、気まずくなることもある。

まずは内面

改めて気付かされたが、ヒトが刺激を受け取った時には、先に内的な反応があってそれが仕草や表情、言葉として外に現れる、すなわち外的な反応となることが多いだろう。そうなると、上で書いた外的な反応の一般論のような対応をするには、まず内的な反応、心の中での受け取り方を整える必要がある。
では、心の中での受け取り方はどのようにして変えていくのだろうか。パッと考えてみると、自分に染み付いている価値観を見直すこと、場数を踏んでそういう場面に慣れること、が思い浮かんだ。
後者はともかく、前者の価値観を見直すというのは、長い時間がかかる作業になるだろう。具体的にどういう作業になるのかもあまりイメージできない。ただ、どこかで向かい合うタイミングが来るのかなとは思う。

話がまとまらないが、今回はこの辺で。